第3話

 

ヨーロッパの孫に聞かせる

 

日本と世界の歴史

 

第3話 アルファベットと日本語の起源

 

 

 

岡市敏治

 

ウィーンには人がいっぱいいるね。君の国オーストリアの人口は君がgrund schule(小学校)で学んだように800万人だ。ニッポンはその15倍の1億2700万人が住んでいる。世界には195のクニがあって、総人口は70億人。君のクニのざっと900倍の人間がこの地球上に生きていることになる。

 

 ところで、私たち人類はいつこの世に現れたんだろう。地球が誕生したのは46億年前だが、最初の人類(猿人)が現れたのは今からおよそ450万年前だ。地球の長い歴史から考えれば、人類が誕生したのはごく最近ということになる。

 

 

 

人類のgreat journey

 

 私たちと同じ種類の人類である新人(Homo sapiens)は15万年前アフリカのサバンナに誕生する。気候変動(砂漠化)に見舞われたご先祖たちは、5万年前故郷アフリカの地を出発する。Great journeyの始まりだ。エチオピアの海岸から紅海を渡った人々は、中東の平原で西と東の二手に分かれる。西を目指したフロンティアはヨーロッパ、ゲルマンの森で過酷な氷河期をたくましく生き抜く。

 

 東へ向かったご先祖たちは、砂漠を越え、森をさまよい、海を渡って2万年前、日本列島に行きついた。(悠久の時は流れ流れて、西のはるかなる子孫Alexanderと東のこれまたはるけき子孫志奈がヨーロッパで出会い、愛し合い、君が生まれたというわけだ。)

 

 ところで、パパのクニのドイツ語とママのクニの日本語はずいぶん違うね。5万年前は同じ先祖だったというのに、今ではチンプンカンプンだ。

 

 これは人間がバベルの塔という天にも届く高い塔を建てたのを神様が怒って、罰としてことばをテンデンバラバラにしたと旧約聖書はいうが本当のところはどうなんだろう。

 

 今世界には6000くらいのことばがある。これらはインド・ヨーロッパ語族、セム語族、ハム語族、シナ・チベット語族など10くらいの語族に分類できる。

 

 君の母語のドイツ語は英語、フランス語、ラテン語等と共にインド・ヨーロッパ語族に属し、その内グローバル言語とされる英語人口は約7億人だ。世界で一番多く使われていることばは中国語(シナ・チベット語族)で約14億人。

 

 ところで、日本語はこれら語族のどこにも属さない不思議の言語とされているが、世界で7番目に多い使用人口を擁してもいる。

 

 

 

日本人はどこから来たか

 

 日本語は中国語から文字(漢字)を借りているが、中国語とはまるで違い、遠い親戚語でさえない。大陸のどこにも日本語の祖先に当たるとされる言語は発見されていない。日本語は系統不明の孤立言語なのだ。

 

 日本語はどこから来たのだろう。

 

 大昔、アフリカを出発したご先祖たちが、2万年前日本列島に行きついたと書いたが、そんな大昔の航海技術で日本海を渡れたのだろうか。その心配はいらない。実は地球は1万年前までは氷河期で、日本列島は大陸とつながって陸続きになることもあったのだ。氷河期には雨水は川から海へ流れず、陸上に氷河となって固定され、ために海水面が現在より100m下って、図1のように朝鮮半島や樺太と日本列島はつながっていたことがわかっている。

 

図1 氷河時代の日本列島

図2 三内丸山遺跡

 

日本列島は氷河時代にも厚い氷におおわれることがなく動植物が繁殖していたので、寒冷化した大陸からナウマン象やヘラジカなどが日本列島に渡り、それを追って、豊かな食料を求めてご先祖たちは大陸から渡ってきたのだ。

 

 

 

豊かな縄文の森

 

 1万年前氷河期が終わり、氷が解け、海水面が上昇して日本の地形は今と同じ海上の列島となった。南から日本海に暖流(対馬海流)が流れ込んでくる。暖流から発生する大量の水蒸気を冬、シベリアの寒気団が雪にかえて日本列島に世界有数の豪雪をもたらす。雪は水の貯蔵庫だ。

 

 太平洋側は黒潮(暖流)が北流しており、列島は温帯の落葉広葉樹林(ナラ、ブナなど)におおわれた。ことに東日本は豊かな木の実やサケなどの川魚、カツオ、貝などの海の幸、イノシシ、鹿といった山の幸に恵まれた。

 

 ニッポンは200年に一回は大地震と大津波に襲われ、その度に忍従を強いられてきたが、森と岩清水、海の幸に囲まれて、平和で豊かな生活を送ることができた。

 

 世界最古の土器は8000年前のメソポタミアの壺とされてきたが、近年青森県でもっと古いのが見つかった。1万6500年前の縄文土器だ。これで煮炊きをしていた。グルメの世界最先端を切っていたのが日本列島だったのだ。

 

 以来、1万年以上縄文時代がつづく。三内丸山遺跡(図2)を見た時は驚いた。6本の巨木を柱とする巨大建築物の跡や数多くの竪穴住居跡のある35haもの広大な巨大集落遺跡である。5000年前、500人規模の人々がここで1500年間暮らしていた。

 

 

 

エジプト文明に比肩する縄文文化

 

 同時代、世界では四大古代文明がさかえていた。エジプトではナイルの河辺に巨大なピラミッドが造られた。ナイルの水を利用して農耕するために文明が芽生え、王政による都市国家が発達した。文字(ヒエログリフ)も発明された。

 

 農耕を中心としたエジプト文明の華やかさに比べると、森での狩猟、採集、漁労を中心とする縄文文化は未開、野蛮の原始社会というのが一般的な見解だった。

 

 これに対し、ニッポンの高名な環境考古学者安田喜憲博士は次のように言う。

 

「日本の縄文文化はエジプト文明と同じく、1万年近くの長期にわたって継続し、かつ民族の移動や侵入がないという世界でもまれにみる特殊性を有している。」

 

 砂漠のエジプトでは、ナイルの水を制御することによって農耕に活路を見出したのに対し、豊かな森林資源に恵まれた日本列島では、面倒な農耕をせずとも、狩猟や漁業で十分やっていけた。環境の違いに、それぞれ違った対応があっただけの話で、文明の高低の差ではないというのである。

 

 

 

原日本語(やまとことば)は縄文の森で1万年かけて熟成された

 

さて、ここでいよいよ本論のことばの話に入る。縄文人はどのようなことばを話していたのだろう。

 

今から2500年前に長江流域の江南を源流とする水田稲作が大陸からのボートピープルによって日本列島に伝えられた。弥生文化の始まりである。

 

かなりの渡来人が東シナ海をわたり、あるいは朝鮮半島を経てやってきたと考えられる。弥生の渡来人たちは稲作や鉄、機織の技術と共にことばも伝えたはずだが、中国語や朝鮮語の痕跡が古代日本語(やまとことば)に全く見つからないというのはどういうことだろう。縄文人口は25万人程度と推測されているが、丸木舟やいかだといった当時の航海技術で大陸から何万人もの渡来人がやってきたとは考えにくい。

 

「渡来人の移動は大きな要素ではない。渡来人との多少の混血はあったにせよ、縄文人が自ら弥生人に変貌していったのだ。」というのが、著名な考古学者金関恕大阪府立弥生文化博物館館長の知見である。

 

稲作の技術は渡来人からしっかり受け取るが、ことばは自らのやまとことばに翻訳してすませてしまったのだ。やまとことば、つまり原日本語は日本列島という大陸から200km離れた閉鎖されてはいるが、豊かな縄文の森で1万年かけて独自に熟成されてきたのであって、他の言語に源流を求めても見つかるわけはないのである。

 

 

 

古事記と万葉集

 

今から丁度1300年前の西暦712年に古事記が編纂された。古事記はやまとことばによって神話の世界が語られている。文字をもたなかった日本は外来の漢字の音と訓を使ってやまとことばを表記したのである。

 

   イザナギ  伊邪那岐

 

           スサノヲ  須佐之男

 

当時かなはなかったので、全て漢字で上記のように書かれたが、中国人が読んでもまったく意味不明である。

 

これを読み解いたのが本居宣長で、宣長さんのお蔭で私たちはご先祖が縄文の森で1万年かけて作り上げた日本語の原型に親しく接することができる。

 

この50年後に万葉集が世に出る。

 

         田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にぞ

 

             富士の高嶺に 雪は降りける

 

これは山部赤人の歌である。今の中学生が読んでも十分理解できる。やまとことばは1300年後の現代日本語の中に脈々と生き続けているのだ。

 

万葉集の読み人は一部貴族や知識人だけでなく、兵隊(防人)や読み人知らずの一般庶民までまきこんだ約4500首の国民歌集である。

 

五七五七七のリズム感をもった三十一文字の短詩は世界に例を見ない独創的なもので、当時の人々の知的レベルは相当高かったと考えざるを得ない。

 

古事記、万葉集以前のやまとことばが日常どのように話されていたか文字による記録がないので定かでないが、西暦5~6世紀に論語や仏教と共に中国から文字が伝わってわずか200年くらいで文学性の高い古事記や国民規模の万葉秀歌がつくれるわけがない。やまとはくにのまほろば、言霊(ことだま)の幸はふくに、そこにはきっと縄文時代1万年の沈黙の歴史、濃密な文化の伝統があったはずである。

 

 

 

アルファベットとかな

 

さて、ここで少し話題をかえよう。君の名前HANAはアルファベット文字だが、この文字はいつできたのだろう。紀元前13世紀、地中海貿易で栄えたフェニキア人が商業上の必要からエジプトの象形文字(ヒエログリフ)(図3)を工夫してフェニキア文字(図4)つまりアルファベットを作り上げた。それがギリシアに伝わって、ギリシア文字となり、ついでローマに伝えられてその後のヨーロッパ諸言語のもととなった。HANAは元をたどれば5000年前のエジプトの象形文字に行きつくのだ。

 

HANAを日本語表記すると次の3つになる。

  ①波奈 ② はな ③ ハナ

 

図3 ヒエログリフ(神聖文字) 死者の書

図4 フェニキア文字

 

波奈は漢字である。中国語でもきっと「波奈」と表記するだろう。

 

②はなと③ハナはともに日本独自のかな、表音文字である。

 

 古代日本人はその後1000年以上使い続けることになる表音文字を、フェニキア人並みに発明した。どうしてそういうことが可能だったのだろう。

 

 

 

「訓読み」は世界言語史上の奇跡

 

 1500年前、中国から論語や仏教、律令が大量の漢文(中国語)によって日本にもたらされた。漢文を解する以外に儒教にも仏教にも近づけない。しかし中国語そのものを受け入れるつもりはない。日本語を捨てて中国語を話したり書いたりする国土にするわけにはいかないからだ。

 

 だが、仏教や律令はいかにしても受け入れなければならない。当時の日本人は絶体絶命の窮地に陥った。そして中国語として読む以外にない漢文を、日本語として読む驚嘆すべき妙技を発明した。それが「訓読み」である。

 

 中国の文字を日本語読みし、日本語そのものは全く変えない。中国語破壊の滅茶苦茶な読み方で「訓読み」を確立し、やまとことばを守り抜いた。そんなことをした民族はアジアのどこにもない。これは世界言語史上の奇跡と言っていい。

 

 ところで、漢字を一語一字の表音文字として使うのはいかにも不便である。

 

 次の歌は万葉集にある。

 

    ゆきのいろを うばひてさける うめのはな

 

         いまさかりなり みむひともがな

 

 

(雪の色を 奪ひて咲ける梅の花 今盛りなり 見む人もがな)

 

 

 

 下線部の原文は次のようになっている。

 

   有米能波奈 伊麻佐加利奈利

 

これを万葉仮名という。この万葉仮名を眺めていると、昔の日本人の茶目っ気振りを感じるね。君の漢字「波奈」は、実は万葉集のこの句に淵源があるのだよ。

 

やまとことば一語一語をいかつい漢字で一字一字書くのはいかにも不便なので漢字をもとにして平安時代に開発された表音文字が「かな」である。 漢字の一部分を抜き書きしてすませることにしたのが「カナカナ」(図5)で、崩し書きにしたのが「ひらがな」(図6)である。「はな」は「波奈」を崩したものなのだ。

 

 必要は発明の母だったが、それにしてもこれはフェニキア人に優るとも劣らない偉大な発明だね。だって、中国5000年の歴史をもってしても、ついに表音文字をつくりだすことはできなっかたのだから。

 

図5 カタカナの発明

図6 ひらがなの発明

 

 かなが発明されて100年後、世界最古の長編小説とされる『源氏物語』が紫式部によって、ひらがなで書かれた。1000年後の今も読みつがれ、日本文学史上の最高傑作であることはまぎれもない。

 

漢字の本家の中国ではついに「かな」のような表音文字を発明することがなかったのは今述べた通り。戦後簡略字にしたはいいが、昔の漢字(古典)が読めなくなって困っている。

 

中国語で人名や国名を表記するとどうなるか、例示してみよう。

 

 デカルト 笛□□    ピタゴラス □□□拉斯 

 ミケランジェロ 米□朗□□

   スリランカ 斯里□□  ネパール 尼泊□    

   ポーランド 波□

 

                           

*下線部は中国語の簡略字。日本に活字がなくて困ってる。その内、作るから待っててね。

 

中国語表記がカタカナに比べいかに不便で非能率か一目瞭然だろう。

 

 

 

言語は民族の精神の核。私たち日本人は縄文時代以来の先人の偉業に感謝しすぎるということはない。

 

さて、今回は日本の自慢話になってしまったネ。次回はヨーロッパが生んだ偉大な発明『複式簿記』の話をすることにしよう。

                  (つづく)2012.4.17