ヨーロッパの孫に聞かせる
日本と世界の歴史
第17話 ヒマラヤはどうしてできたの
~地球46億年の物語・前篇~
岡市敏治
漆黒の宇宙の中に、青く光る惑星「地球」。空があり、海があり豊かな大地がある、生命の星「地球」。
地球はいったいどのような惑星なのだろう。固い岩でできた地球が、実は内部は水アメのように動いていて、火山や地震をおこし、ついには海の底をもちあげて、ヒマラヤ山脈をつくった。
この広大無辺の宇宙の中で、なぜ地球だけが生命を育むことができたのだろう。奇跡の水惑星・地球の46億年の不思議に迫ってみることにしよう。
今から約1世紀前の1912年、ドイツの科学者アルフレッド・ウェゲナー(1880~1930)は、世界地図を眺めていて、不思議なことに気づいた。大西洋を挟んで向かい合うアフリカ大陸の西側と南アメリカ大陸東側の海岸線がぴたりと一致するのだ。(図1)
もともと一つの大陸だったものが分裂し、移動してアフリカと南アメリカという現在の姿になったのではないか。「大陸は移動する。」そう確信したウェゲナーは、大陸移動説を提唱し、2億年前に存在したと考えられる巨大な大陸をパンゲアと名づけた。
海岸線の形が似ている以外にも根拠があった。2億年前の氷河の跡がアフリカ、南アメリカ、インド、オーストラリアの4つの大陸に残っていることや、アフリカと南アメリカの両大陸で、同一種の化石がいくつも発見されたのだ。もともとくっついていた大陸なら、このような地質学的な類似点をうまく説明できる。超大陸パンゲアは存在したのだ。
大陸は移動する
しかし、巨大な大陸が海をかきわけて、どうして何千キロも移動できるのだろう。大陸を移動させる原動力となるものはなにか。ウェゲナーはこの壮大なる仮説を立証するべく、大陸氷河に覆われたグリーンランドへ探検に出かけ、4度目の探検で遭難、50年の波乱の生涯を閉じた。
当時、大陸が移動するという奇想天外な考えを裏付ける証拠を示しうる人は誰もいなかったので、ウェゲナーの仮説は、単なる珍説、奇説としてかえりみられることがなかった。だが、ウェゲナーの大陸移動説はプレートテクトニクス理論として、ウェゲナーの死後30年たった1960年代に息を吹き返し、その後の地球観にパラダイムシフトをもたらしたのである。
図1 大西洋世界とインドプレートの北上
地球の内部構造は大きく分けると地殻、マントル、核の3層構造である。地表から地球の中心までの距離は6300㎞。一番外側の地殻の厚さは数十kmである。ゆで卵でいえば、黄身が核、白身がマントルであり、薄っぺらい殻が地殻に相当する。(図2)
地球の内部はその核心部において6000℃もの高温だ。一方、地表は気温や水温と同じ温度にまで冷やされている。このためマントルは、「対流」し、これによって地球内部の熱は外部へ逃がされている。
現在のマントルはほぼ固体の岩石で、地震のように急激に加わる力に対しては、固体としてふるまう。しかしマントルは高温高圧にさらされている。非常に長い時間のスケールで見ると、柔らかい流体としてふるまい、対流しているのだ。その速度は非常にゆっくりとしたもので、年間1~10㎝程度。しかし、年間1㎝としても1億年では1000㎞移動する。このマントル対流の発見によって大陸移動の謎*が解かれることになる。
大陸移動の謎*:1950年代、アメリカは軍事目的もあって、音波探査で大西洋の海底地形の調査を始めた。調査の結果、それまで単調だと思われていた海底に、思いもよらない大規模な地形が浮かび上がってきた。(図1)
大西洋の中心には大きな高まりが南北に走り、大西洋両岸の海岸線と並行して湾曲している。この長大な海底山脈は大西洋中央海嶺と名づけられた。同じような海底の高まりはインド洋や太平洋でも見つかり、それらは連結して地球を一回りするほどだった。逆に海溝と名づけられた深い凹地形も見つかった。海水で隠された海底にこのような雄大な地形が存在したことは大きな驚きであり、しかも海嶺が大陸の海岸線と並んで走っていることは、両者が無関係でないことを想像させた。
さらに、海嶺は岩盤ができたばかりで、両側に離れるほど古くなっているということも分かった。これは海底が海嶺で誕生し、両側に移動していくということ。つまり大西洋がどんどん拡大し、両側の大陸はどんどん離れていくことになる。逆に巻き戻すと、両大陸は接近し、合体する。
このようにして、ウェゲナーの大陸移動説は海底探査から実証されたのである。
図2 地球の内部構造と「対流」
図3 海洋底拡大の原理
地球表面の地殻は一枚板ではなく、10数枚のかたい岩盤の板が地球を覆っている。この板を「プレート」という。プレートはアフリカプレート、南アメリカプレート、太平洋プレート、ユーラシアプレート、インドプレートなどがある。マントルはこのプレートをのせて地球規模で対流する。これがプレートテクトニクスだ。(図1、図3)この理論によって、地震と火山の発生メカニズムがさらには造山運動の謎も解明された。(図4)
ヒマラヤ山脈の誕生
エベレスト(8848m)を筆頭に標高8000m級の峰々が天高くそびえるヒマラヤ山脈。その山頂付近で、アンモナイトや二枚貝、ウミユリなどの海の化石が発見されている。エベレストの山頂直下に黄色く見える帯状の層が走っているが、これはイエローバンドと呼ばれる海の堆積物である。テッペンに海の化石を乗せた世界の屋根ヒマラヤはどのようにして形成されたのだろう。
2億年ほど前に、ただ一つの超大陸パンゲアにまとまっていた地球上のすべての陸地は分裂をはじめ、長い時間をかけてゆっくりと漂っていった……。(図1)
南極大陸から分離したインド亜大陸は、インドプレートにのってユーラシア大陸に向かって北上を始める。両大陸の間には、テチス海がひろがっていた。そのテチス海をゆっくりと北へ向かったインド亜大陸は、6600万年前ごろには、赤道付近に達した。ちょうど恐竜やアンモナイトが地球上で絶滅した、白亜紀末のころである。
さらに北上を続けたインド亜大陸は、次第にユーラシア大陸に接近し、テチス海は狭く浅い海になっていく。そして5000万年前ごろ、とうとうインド亜大陸の北西部がユーラシア大陸に衝突、テチス海は完全に消滅した。(図5)
ユーラシア大陸にはげしく衝突したインド亜大陸の地殻は、ユーラシア大陸の地殻を押し縮めると同時に、その下へもぐりこんでいった。このとき、インド亜大陸の北部の地殻に逆断層ができ、この断層に沿って、ユーラシア大陸の地殻がインド亜大陸の地殻の上へ押し上げられた。こうして、ヒマラヤの高い山脈がつくられていった。ヒマラヤ山脈の数千メートルの高地で見られる多くの化石は、二つの大陸の間のテチス海に住んでいた生物のもので、ここまで押し上げられたのである。さらに、インド亜大陸の地殻のもぐりこみによって、チベット高地のぶ厚い地殻がつくられ、それは平均標高4500mの荒涼広大なチベット高原となった。
ヒマラヤ山脈の誕生は、アジアの気候を一変させた。インド洋からインドに吹き込んだ夏の季節風「モンスーン」が、ヒマラヤ山脈を越えることなく、大量の雨をヒマラヤ山脈の南側へ降らせることになった。その結果、ヒマラヤ山脈を境にして、北側のチベット高原では乾燥化が進んだ。このアジア内陸の乾燥地帯では、冬になると高気圧(シベリア寒気団)が発達し、寒冷乾燥の風が東アジアへ向かって送られるようになる。このシベリア寒気団は、日本海の湿気を雪にかえて、日本列島に世界有数の豪雪をもたらすのだ。
図5 ヒマラヤ造山運動
46億年前に太陽と地球が生まれた
地球は固い岩石でできていると考えられてきたが、実は深部は6000℃もの高温で、地球内部は水アメのように動いている。地球規模のマントル対流が大陸を移動させ、ヒマラヤ山脈を形作ったのだが、それにしても地球が誕生して46億年もたつというのに、どうして冷え切るどころか、6000℃もの高温を地球は維持できているのだろう。太陽のような恒星ではなく、岩石の固まりの星なのに。それを知るためには、46億年前の太陽と地球誕生のときまでさかのぼらなければならない。
宇宙空間でガスやチリが特に濃く集まっているところを「星間雲」と呼ぶ。太陽系も、もともとはこの星間雲であった。その広さは数光年もあったと考えられている。
星間雲の濃度が均一なままでは恒星は生まれない。濃い部分と薄い部分ができることによって、濃い部分の重力(引力)が外向きの力を上回り、ガスやチリを引き寄せて星になるのだ。そのきっかけとなるのが、大質量の恒星が死ぬ*超新星爆発だ。太陽系が誕生したのも近くで超新星爆発があったから。
今から46億年前、太陽の8倍以上の巨大な恒星が寿命を迎え、超新星爆発を起こした。その衝撃波や放出された物質が星間雲を刺激し、濃度が濃い部分ができた。すると重力が生じ、どんどん収縮してゆっくりと回転するようになる。また、この濃い部分では、原子が衝突することで熱が発生し、高温高圧の状態になり、核融合反応が起こって光り輝くようになる。これが原始太陽である。
*超新星爆発:太陽より8倍以上重い星のたどる運命は激烈である。重力の持つ内部圧力があまり強いため、星の中心部は超高温、超高圧となり、通常の星より急速に燃え尽きる。燃え尽きると星は重力崩壊し、急激に圧縮され、温度が何億度にも急騰する。次の瞬間、超新星爆発と呼ばれる大爆発によって星は一瞬に崩壊、星の構成物質であるHeからC,O、Fe、さらにウラン(U)までの重い元素までが一気に宇宙空間に吹き飛ばされる。超新星爆発の間、その星は太陽の数十億倍もの明るさで輝く。太陽も地球も実はこれら超新星のカケラと星間雲でできあがっているのだ。
原始太陽は回転を速めながら周囲のガスやチリを巻き込んで、さらに成長していく。回転による遠心力で、周囲のガスやチリも円盤状になって原始太陽の周りを回転するようになる。そして太陽が形成されたあとに残ったガスやチリが衝突して合体し、次第に大きくなる。直径10キロほどの微惑星が無数にできて、さらにその微惑星同士が衝突、・合体して原始惑星へと成長していった。
こうして太陽を中心に、直径100億キロの原始太陽系が誕生した。100億キロと言うと、とてつもなく広大に感じるが、光年に換算するとたったの0.001光年でしかない。10万光年もある銀河系の中では、砂粒ほどにもならない小ささなのだ。
成長した太陽は、中心の密度や温度が臨界点に達し、核融合反応によってますます輝きを増す。
一方、原始惑星は速度を増して衝突し、合体したり破壊しあったりした。太陽に近い場所ほど公転速度が速いので、衝突・合体のスピードも速く、月から火星くらいのサイズの原始惑星が50~100個もできた。それがさらに衝突を繰り返して、「水星」「金星」「地球」「火星」になったのだ。主に岩石と金属でできていて、「地球型惑星」と呼ばれている。
衝突・合体を多く繰り返した惑星ほど、大きくなる。地球の大きさを1とすると、この4つの惑星の大きさはそれぞれ水星0.4、金星0.95、火星0.5となる。このことから、最も激しく衝突を繰り返して成長したのは地球と金星ということがわかる。
太陽から離れた場所の原始惑星は、太陽風に吹き飛ばされた星間ガスの一部を引き寄せながら内側の惑星よりもゆっくりと成長する。質量の大半がガスでできている「木星」(地球の大きさの11倍)と「土星」(9倍)は「木星型惑星」と呼ばれる。これら巨大惑星の重力によって、軌道の外へ放り出された微惑星が彗星になったと考えられている。
図6 マグマオーシャン
地球の質量が大きくなるほど重力も増大し、微惑星の衝突スピードも上がる。すると衝突によって熱が発生する。金づちで釘をたたき続けると、釘はだんだん熱くなっていくが、微惑星の衝突は無論その比ではない。衝突地点の温度は一瞬で数千度にもなった。その頃から地球には水蒸気と炭酸ガスを多く含んだ大気があったため、温室効果が働いて熱が宇宙へ逃げずに、地球の表面温度はどんどん上昇していった。
地球の直径が今の半分程度になると、地表の温度は岩石の融点を超え、ドロドロのマグマとなって地表全体を覆った。これをマグマオーシャン(マグマの海)と呼び、その深さは数百~1000キロ以上だったとも言われている。マグマオーシャンの中で、鉄やニッケルなどの重い成分は地球の中心へ沈み、軽い岩石の成分は地表のほうへ浮かんできた。こうして成分ごとに層をなし、現在の核とマントルになったと考えられている。(図2、図6)
このように地球誕生時の微惑星の衝突による運動エネルギーが熱エネルギーに変換されて、地球内部にたくわえられた。それらの熱は大気の温室効果によって宇宙に拡散することなく、地球に閉じ込められたのだ。そして、今に至るまでマントルを対流させる原動力となって大陸を移動させ、ヒマラヤを形成していったのだよ。(つづく)
次回は『サムライの時代』。君のママと見た映画『七人の侍』の話をしよう。
2016.12.1